鹿児島県頴娃町牧之内
平成十八年九月八日、頴娃町を訪ねた。役場を訪問し、係りの方に今までの拙稿をお預けし。頴娃町 牧之内雪丸なる真田幸村の墓を捜した。土地の方から大体の場所を伺って、家族総勢5名で2時間半 ほど山中で格闘したが、残念ながら見つけることは出来なかった。しかし、見当違いのおかげで、馬渡川 が鉄分豊富な川であることを確認した。クタクタになって宿舎へと向かった。開聞岳がきれいだった。 翌朝、家内が別の所に幸村の屋敷跡と古墳があるよと、教えてくれたので、子供達の嫌な反応は分かっ ていたが「今度はきっと立て札か何かあるよ」となだめて淵別府に向かった。 子供達の予想通り今回もまた、敗北に終わった。 しかし、濱崎氏の記事の中の …頴娃別府村淵別府には、真田幸村が一時潜伏して居ったと云ふ隠れ家の跡があり、又その附近の 川端には真田幸村の墓と称する古墳がある。・・・中略・・・其の女は産の紐を解き、丸々と太った玉 の如き男の子を産んだ。その男の子こそ真田幸村の隠し子であって、後に真江田某と呼び、苗字帯 刀を許された男である。・・・ (下線引用者) という、川端が前述の馬渡川の辺りということがハッキリした。 (下線引用者) 私の言いたいことの材料がまた得られた。それは、真田幸村は、その子大助や家臣達と共においしい お米の獲れる山中の鉄分豊富な水のある所で、開墾して棚田を作っていたのだろう、ということである。 私は大満足だった。家族には「まあまあ、良かった。来年来る時にはきっと、案内板が立っているよ。 また来ようね。楽しみやね〜」と言ったが、現物(屋敷跡・お墓)が見られなかったので、長男などは最後 まで不服だった。私の遠大なる構想など、家族達は知る由も無かった。 帰りには、大隅町岩川の某道の駅で、おきまりの、黒豚のトンカツ・冷しゃぶ、などなど大いに振る舞い 点数を稼いだ。 来年、一人で山中を捜索するなど、とんでもないから・・・。 |
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雪丸の馬渡川 赤い岩は鉄分を含む水の証拠 |