島原の情報

島原では

 そこで、島原の情報として郷土史に詳しかった故渋鉄郎郎氏の著作群を調べたところ、『島原一揆』の
中に芦塚家の記述があった。要約すると
  現雲仙市吾妻町の「中の家」とよばれている、当初は代々芦塚十左衛門と称して高徳の旧家がある。
  初代芦塚家当主は島原の乱後に当地に来り住み開墾を始めたということである。
重要な部分をそのまま抜き書きすると、
  …しかし何で「中の家」という呼称が現在まで続いているか理由は不明。(『島原一揆』170頁下段
  4行目)
とある。「これは・・・」と思った。
 もしも、島原半島に真田幸村の墓が実在すれば、鹿児島の伝承のように真田大助は島原の乱の中心
人物の一人であり、芦塚中左衛門と名乗っていたのではないか。それが真実に近いのではないか。
 しかし、大胆にも乱の後、領内に住み続けるとは・・・。もしかしてなんらかの目的のためにスパイ(カッコよく言えば諜報員、妥当なところで隠密)として、幸村三代親子は鹿児島から島原に移住してきていたのではないか。大阪夏の陣から22年後が島原の乱である。
 新しい楽しい妄想をかきたててくれる。



渋江鉄郎著 島原一揆